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【シリーズ:農と食のイノベーション(第6回)】 「金沢大地(上):土地利用型の有機農業が成立する条件」『食品商業』(2019年1月号)
 連載の6回目と7回目では、石川県金沢市と能登半島で、土地利用型の大規模有機農場を経営している井村辰二郎さんの「金沢大地」を取り上げることにします。(上)では、日本でも珍しい大規模な土地利用型有機農業(生産農場は、「金沢農業」と」「アジア農業」)に取り組むことになった事情について紹介します。

 

「金沢大地(上):土地利用型の有機農業が成立する条件」『食品商業』(2019年1月号)
 文・小川孔輔(法政大学経営大学院)
 
1 有機農業の生産性
 今月号(12月号)と来月号(2019年1月号)では、石川県金沢市と能登半島で土地利用型の大規模有機農場を経営している井村辰二郎さんの「金沢大地」を取り上げることにします。井村さんの有機農場(金沢農場とアジア農場)は、全体の耕地面積が約200ヘクタールで、日本最大のオーガニック農場です。主として米、麦、大豆などを輪作しながら、野菜やワイン用のブドウなどを栽培しています。
 有機農業(Organic Farming)とは、「化学的に合成された肥料や農薬を使用しない農法」の総称のことです。その反対が慣行農法(Conventional Farming)で、水素と窒素を効率よく反応させてアンモニアを合成する「ハーバー・ボッシュ法」が1908年にドイツで発明されてから一般的になった農法です。農薬との相乗効果で、農業の生産性は飛躍的に高まりましたが、その一方で自然環境の破壊や水質汚染に加担することにもなりました。健康や食の安全性という側面から、先進諸国では有機農業に回帰する動きがみられます。
 図表1は、世界の有機農業の耕作面積の伸びを示したものです。日本では、有機農業は全農地の0.2%程度で、ここ数年は栽培面積がほとんど伸びていません(図表2)。しかし、世界を見渡してみると、有機農業の耕作面積は年率5%〜10%の勢いで伸びて続けています。それは、有機農産物に対する確実な需要があるからです。有機農産物とその加工品は価格プレミアムがついて売られています。
 <<この付近に、図表1と図表2を挿入>>
 一方で、有機農法は、土地生産性と労働生産性の点で慣行農法に劣っていると言われています。そのせいなのか、少なくとも日本では、有機農家は小規模で多品種少量生産をしているイメージがあります。除草作業など手間がかかる上に、大量生産すると売り先を確保するのが難しくなるからです。ちなみに、ホールフーズやコストコ、ウォールマートやテスコなどが有機農産物を大量に販売している欧米諸国では、有機農産物市場を支える大規模生産者(栽培面積100〜200ヘクタール)が多く存在しています。大規模な有機農家がほとんど存在していない日本の農業は、世界的には例外的な存在だということがわかります。
  
2 代理店のトップ営業マンが有機農家になるまで
 日本最大の土地利用型の有機農場を経営している井村さんが、低生産性の罠にはまらず、どのように有機農業に取り組んでいるのかを紹介します。ご本人は、「自分の事業スタイルは、他の有機農家さんの参考にならないかもしれないですよ」と謙遜した発言をなさいますが、井村さんの取り組みこそが日本の農業の未来型だとわたしは確信しています。そのことを理解していただくためには、井村さんが専業農家になるまでのキャリアを説明しなければなりません。
 井村さんは農家の五代目です。東京オリンピックの年(1964年)に金沢市で生まれました。明治大学農学部を卒業後、内定していたIT系企業への就職を辞して、故郷の金沢に帰ります。大学を卒業する年に、実父ががんで胃を全摘したからでした。
 次男でありながら故郷に戻ることを決意した「孝行息子」の井村さんですが、そのまま農家には入らず、地元の広告代理店に8年間勤めます。その間に、ローカルで展開されているデジタル製品のキャンペーンを担当することになりました。たとえば、ドコモのムーバー・キャンペーンや七尾電機のEIZOのプロモーションなどです。大手の広告代理店が中央で展開している仕事の「ローカル版」を経験することになります。井村さんは北陸でナンバーワンの企画営業マンになるわけですが、この経験が農業に転業してから市場開拓に活きることになります。たまたま期せずして、「プロジェクト・マネジメント」を20代で経験していたのでした。
 帰郷して8年がたち、トップ営業マンとして成功してはいましたが、ご本人の言葉によると、「代理店の仕事は、華やかだけれど誰か他人のためにするサポート業務」に思えたそうです。自分の仕事としては、父親の仕事=農業に将来性と魅力を感じ始めるようになっていました。
 そこで思い切って、代理店の顧客でもあった大手電話会社の常務さんに相談してみます。それまでは誰ひとりとして井村さんの転業の思いを支持してくれなかったのが、その方だけは、「農業を始めるのなら、いますぐに始めたほうがよい」とアドバイスをしてくれました。「仮にお米だとして、年に一回しか収穫ができない。井村君が70歳まで農業を営むとして、あと40回しか経験を積むチャンスが残されていないですよ」。
 目の前の霧が晴れて、井村さんは一年後に退職します。農業が千年先の子孫へ継承すべき産業であると考えた井村さんは、豊かな大地と水・環境を次代へ継承することが自分の使命だと感じて、有機農業に取り組み始めました。
 
3 耕作放棄地を耕すことをミッションとする
 ここに、井村さんが12年前に『現代農業』(平成18年)という雑誌に書いた原稿があります。その中に「なぜ大規模経営なのか」という記述があります。やや長くなりますが、井村さんが大規模農業に取り組んだ背景を説明するために引用してみたいと思います。
 「少量多品目の自然農法、就農時理想と考えたのは多くの先輩たちが実践する営農形態だった。しかし、当時は父親が耕作していた30ヘクタールの畑地と、15ヘクタールの水田で手一杯で、有機栽培の野菜までは手が回らなかった。それでは、身近な作物から有機農業を実践しようと有機大豆に取り組み、実験・研究・販売を進める中で、多くの問題が見えてきた。先進的なヨーロッパの認証制度の事例、交付金大豆の仕組み、実需者である豆腐業界のこと、共同購入会や自然食品店など流通の事。
 有機大豆の生産・加工・流通を勉強してゆく中で、ある中堅の豆腐屋メーカーから言われたことが有る。『有機大豆なんて日本に存在しないよ。有ってもロットが無い。有機国産大豆なんてある種のブーム。日本の消費者は飽きっぽいからアメリカや中国の有機原料で十分。慣行の国産大豆だって安定供給できてないじゃないか』。くやしかったが、その通りでもあった。その時から、強く意識するようになったのが、メーカーの加工ロットを満たす量の確保と安定供給。現実として海外との競争が有ることを認識し、土地利用型大規模有機穀物生産農場のモデル構築への挑戦がミッションとなった。」
 井村さんにとって幸いだったのは、戦後の食糧増産ブームの時に開拓されていた河北潟干拓地(2000ヘクタール)に、200ヘクタールの耕作放棄地がそのままに放置されていたことでした。コメ余りの中で政策的に米作ができなくなっていたので、耕作放棄地になっていた土地でした。本来的には畑作に向かな土地でしたが、就農したばかりの井村さんは、耕作放棄地の半分(100ヘクタール)を10年かけて耕していくことになります。結果的に、父親の代からの引き継いだ水田に加えて、大豆と麦を輪作して栽培する110ヘクタールの大規模有機農場が誕生することになります。
 井村さんいわく、「のちの能登の耕作放棄地を含めて、自分は日本の耕作放棄地の0.03%を復元したことになります」。最終目標は、日本の農地全体の0.1%を復元することだそうです。いまの目標は、放棄された耕作地をもとに戻すのではなく、「放棄される前の未然防止」に取り組むことです。
 本人は有言実行を旨としているので、「先生、そのことは書かないでくださいね」と言われましたが、証拠としてメモに残しておくことにします。日本の耕作放棄地は、農地全体(450万ヘクタール)の約10%(42万ヘクタール)です(2015年、農水省発表)。井村さんの仲間でもある西辻一真さん(マイファーム代表取締役)も、耕作放棄地を市民農園に転換する事業に取り組んでいます。耕作放棄地の復元と未然防止は、高齢化による農家の後継者育成とともに、日本の農業にとって解決しなければならない喫緊の課題です。
*(「金沢大地(下)」に続く)
| Kosuke Ogawa | 18:25 | - | - | pookmark |

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